最近「普通はこうだよね」
「みんなやってるよ」と言われるたびに、
心の奥がざわざわすることがあります。
かつての私は「普通」とか「当たり前」にうまくハマれるように、
必死で自分を調整していました。
でも、ある時ふと思ったんです
――その「普通」って、いったい誰が決めたんだろう?と。
私は「普通」に合わせるたびに、
自分自身から少しずつ遠ざかってしまうように感じていました。
好きなもの、嫌いなこと、やりたいこと。
それらが曖昧になって、
気づけば自分がよくわからなくなっていたんです。
ある日、森の中で立ち尽くしながら木々を眺めていた時、
その答えが降りてきました。
「普通」なんて、どこにもない。
すべての木が違う形で伸びているのに、
それを見て「こっちが普通だ」なんて誰も言いません。
ただ、その木がその木であることが自然なのです。
その瞬間、自分もそんなふうに生きていいんじゃないかと思いました。
自分にしかできない生き方、自分らしい選択。
普通であろうとしないことが、
私をもっと自由にしてくれる気がしました。
誰かが言う「普通」は、
きっとその人自身の価値観でしかありません。
それに囚われるより、
自分の心が本当に求めているものを大切にすること。
今の私は「普通」にしがみつくことをやめて、
自分らしい「特別」を生きようと日々試行錯誤しています。
それは簡単ではないけれど、
とても豊かで面白い生き方だと感じています。
あなたももし「普通」の中で息苦しさを感じることがあったら、
ぜひ考えてみてほしいんです。
普通じゃない自分を、そのまま愛せないだろうか?と。
普通じゃなくていい人生は、意外と楽しいものかもしれません。