こんにちは。
翔子です。
数年前、駅で昔の同級生を見かけました。
とても仲良しだったわけではないけれど、
同じクラスで何度か話したことのある人。
その人が、可愛い子どもと手をつなぎ、
パートナーと笑いながら歩いている姿を見て、
無意識に立ち止まってしまいました。
「幸せそうだな」。
心の中でそう呟いた次の瞬間、
不思議な感情が胸に押し寄せたんです。
羨ましさと、少しの寂しさ。
「いいな」と思う気持ちと、
「自分にはそういう瞬間は訪れるのだろうか」
と考えてしまう不安。
その帰り道、私はその感情の正体を少しだけ探ってみました。
確かに私は今、自分の人生を大事に生きているつもり。
けれど、ひとを見て比べてしまう癖が抜けていないんだ、
と気づいたんです。
その人にはその人の人生があって、
私には私のタイミングがあるにも関わらず、
なぜか私たちは「他人の幸せ」に
自分のものさしを持ち込みたくなる。
そんな時、ふと思い出したことがあります。
それは、過去にとても「完璧」に見えたある友人が、
心の重たい悩みをぽろりと打ち明けてくれた日のことでした。
私はその時、「あんなに幸せそうだったのに」
と驚いて、でも同時に感じたのです――
どんな人もその背景には、
語られないストーリーがあるのだと。
だから、目の前に見える幸せをただ
「羨ましい」と感じるのではなく、
「その幸せを掴むまでにはどんなストーリーがあったのだろう」
と想像すること。それが、私には必要だと気づきました。
同時に、私自身のストーリーも進行中で、
もしかしたら誰かが「翔子の人生も楽しそうだな」
と思ってくれているかもしれない、とも。
幸せそうに見えるひとを見たとき、
自分がそこに何を投影しているのかを
ひとつひとつ丁寧に感じ取る。
そして、ただひとの幸せを祝福できる自分でいたい。
これが、今の私の小さな目標です。
幸せは比べるものではなく、
それぞれが心の中で育むもの。
誰の目にも触れないところで、
私たちはきっとそれを持ち続けているんだと思います。