【ご挨拶】
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こんにちは^^
自責ぐせから自愛ぐせへ
心の癖を書き換え生きる力を育むサポート
自愛力 カウンセラー翔子です。
「自責ぐせ」から「自愛ぐせ」へ
「こうあるべき」に囚われて
偽りの心で生きることに限界を感じているあなたへ
6ヶ月で10年の生きづらさを克服したカウンセラーが導く
生きる力を内から育む 「自愛力カウンセリング」提供中
お問い合わせはこちらからcounselor.shoko@gmail.com
カウンセリングの効果がうまく出るかどうかは、クライアントであるあなたとカウンセラーである私との相性がとても大切な要素となります。
ですので、私がどのような生きづらさを感じてきたのか。そして、どのように立ち直り、今現在「自愛カウンセラー」として多くの人をサポートしているのか。
ぜひ、知っていただきたいと思っています。
ご興味のあるところから読み進めてくださいね。
自愛力カウンセラー翔子のプロフィール
「こうあらねば」「こうあらなくちゃ」に囚われて他人軸に生きてしまう。
親や社会の評価を気にしては、自分を責めてばかり。
自分らしく生きられない生きづらさを10年以上抱えて生きてきました。
そんな思いでなんとか生きてきた私の人生はハードなものでした。
「命より大切な高学歴と高収入」
医者の父のもと、教育熱心な家庭に育ちました。
家庭では親、学校では先生が絶対的に正しいと思い込み、真面目に生きていました。
成績も優秀、運動も委員会活動でも大活躍の優等生でした。
正義感が人一倍強く、自分に厳しく、要領よく物事をこなす姿に、
親も先生も同級生からも一定の信頼を獲得していました。
そんな典型的な”いい子”だった私も、
妬みや嫉妬の対象になるのも容易くいじめを受けるようになります。
「こうあらねば」「こうあらなくちゃ」を忠実に実践しているのに、
そんな自分を否定される。
それは、一種の人間不信にもつながりました。
「万人から好かれることは難しい。」ことを幼いながらに悟りながら、
それでも多数派に好かれる”いい子”であることが絶対的に正しいと信じて諦めず、
前向きに人当たりよく「いい子」であることにと努め、幼少期を過ごしました。
「将来の夢はお医者さん。」
「将来の夢はお医者さん。」
ものごころついた頃にはそう言っていました。
そんなお医者さんという夢がぴったりな優等生だった幼い私に、
待っていた人生で初めての挫折は中学受験でした。
”私の夢は医者で、そのために日本で一番偏差値の高い学校に行かねばならない”
という謎の使命感が私を頑張らせてくれました。
お正月にハチマキを巻いて「合格するぞー」と叫ぶ。そんな訓練がある大手学習塾で、
トイレの待ち時間も、信号を待っている時も猛勉強する受験期を過ごしました。
そんな人生で初めての挑戦を猛烈に頑張った私に、
つきつけられたのは「不合格」の3文字が書かれた薄い紙でした。
「もう生きていけない。」「もうダメだ。」
心から人生が終わったような気持ちになりました。
「他人の期待に答える優等生の限界」
当時の12歳の私にとってはかなり大きな挫折を、
「これから先さらなる学歴を手に入れることができれば認められる」
そう言い聞かせて、表面的に乗り越えて、
前向きに中学生になりました。
そして、本格的に人生に生きづらさを感じた14歳になりました。
相変わらず成績は優秀。典型的な優等生でした。
運動も出来て、友達にも恵まれていました。
ところが、中学2年生になったとき、
1年生の頃、仲の良かった7人全員とクラスで離れる事態が発生。
社交的だった私は、本来なら新しく友達を作ろうとしたのですが、
がっかり感と同時に、これをチャンスと捉えている自分に気づきました。
そう、これで人と関わらなくていい。友達と仲良くしなくていい。
「仲の良い友達がいなくちゃいけない」「一人でいてはいけない」
そんな思い込みを手放すのに、
このクラス替えは絶好の機会となりました。
この1人が楽という気持ちは私のモラトリアムのすべての発端になりました。
したい勉強は塾で出来る、友達と関わりたくない。
すると学校に行く意味はどこにあるのかを考え出します。
当然のごとく答えが見つからず、学校に行きたくなくなります。
それに比例するように、徐々に心が病んでいきました。
中学生の子どもにとって家と学校がすべて。そんな私の居場所は保健室だった。
次第に授業をサボり、トイレにこもっていたり、保健室に行ったり、
登校途中に学校に行きたくないあまり(大阪の)環状線を何周もしたこともありました。
今思えば小さな学校という枠組みが世界の全てであると思い、
孤独感と絶望でいっぱいでした。
先生や親は問題児扱い。
いつしか思い描いた青春のひとかけらもない、
そのままの自分を受け止めてもらえず、
「こうあるべき」「普通はこう」と言われる地獄の日々でした。
そして、親の期待に応えたり、
正解に沿って生きることに耐えられなくなり、
不登校になりました。
親や先生は「教室に行きなさい」の一点張り。
坂の上にあった学校へ通う途中、坂を登りながら、
先が見えない苦しみや誰にも理解されない孤独感、
集団生活に適応できない焦りや不安、絶望が私を襲いました。
なんとか従順に適応できる自分に戻れないだろうか。
いや、そうなるくらいなら死んだほうがマシ。
究極の選択に葛藤する日々が続きました。
死んでしまいたい。
でも生きるのなら、
ここまで頑張った分くらい報われたい。
そんなほのかな希望を胸に、なんとか助けてもらうことができないかともがきました。
学校という小さな場所しか知らなかった私は、
保健室が最後の砦でした。
居場所をつくることができなかった私は、家にいることすら苦痛。
しかし、教室に行くこともできず、保健室に通うようになりました。
“普通の子”と違うマイノリティに生きることの難しさ
保健室の先生は優しかったものの、
担任の先生や同級生から「問題児」としてレッテルを貼られているような
マイノリティに生きることの難しさや辛さを感じていました。
そして季節を重ねながらも、状況がよくなることはありませんでした。
いわゆるスクールカウンセラーにも何百時間と話を聞いてもらいました。
しかし、ただ聴いてもらうだけのカウンセリングで、
一時的に心は楽になるも、根本的な解決には至りませんでした。
17歳、笑われるのが嫌で、足が見せられなかった。
高校では、編差値73と掲げられた附属の学校に入学しました。
真新しい環境。個性を大切にしているように見えた学校。
のびのびと過ごせるかなとほのかに期待しながら入学しました。
ところが、状況はむしろ悪化。
環境を変えても変わらない親のしがらみや心の内面に苦しみました。
ついには、心で留まらず、体にも異変が出てきました。
皮膚に原因不明、病名不明の毛嚢炎ができました。
治らない苦しみで8回病院を転々としなにもかもを犠牲にして、皮膚科通いを続けました。
しかし、症状はよくなるどころかどんどん悪化していきました。
それもそのはず。
皮膚に原因があるのではなく、
心に原因があったからです。
中高を通じて、何度と通った精神科医や心療内科、
カウンセラーのサポートを受けても、
ずっとずっと生きづらさは変わりませんでした。
他人軸と自分軸のはざまで。
幼い頃からの「こうあらねば」はずっと消えなかった。
大学では日本で上位2%と言われる学歴を手にしたことで、周りからさらに評価されました。
学ぶことが自分のやりたいこともかなっており、満たされた気持ちになりました。
またほのかな自信も抱くことができましたが、それはすぐに消えてしまうものでした。
本質的には何も変わっておらず、ずっと親や社会といった他人軸で生きていたのです。
他人軸で生きていては幸せになれないことに気づいてから、
自分軸で生きるための方法を模索し続けました。
必死で貯めたアルバイト代100万円以上を、自己投資に捧げ、
出会う人や環境から変えました。
それを積み重ねるごとに、
私の自己肯定感はどんどん高まっていった。。
ように思っていました。
実は「意識高くあらないと認めてもらえない」といった、
また別の不自由な信念が出来上がっていっていることなどつゆしらずに。
こうして表面的には大きく変わっていき人生はどんどん豊かになりました。
しかし肝心の「他人軸」にいきていることはずっと変わりませんでした。
「就職したくない。」心を閉ざした偽りの就職活動
他人軸で生きる一貫として、意識高く大学3年生の初めから就職活動をはじめました。
優秀な同級生たちが次々と就職先を決めていくなか、
周りから置いていかれているような焦りと不安、
周りの目を気にしては自分を責め続ける日々。
就職よりも学生起業してみたい。
就職せずバイトでもしながら何かを目指したい。
という本音は置き去りに、
周囲を気にして「こうあるべき」像を探してはそれに合わせていました。
そして、自分を納得させ、全然興味のない業界へ内定承諾をしました。
周りから見れば、待遇面もよく、いわゆるいい条件の会社。
でもそれでは満たされていない自分にもよく気づいていました。
「他人軸」で就職活動をして、きっとうまく勤められないのではないか?
という不安を抱えながら表面的にはキラキラと卒業のその日を迎えました。
社会に出て耐えられるわけがない。
そんな自分は見て見ぬ振りをして。
たった27日で新卒ブランドを失ってしまう
そして、意識高い自分を評価してもらった会社に入社を決めて、社会人になりました。
しかし、入社してすぐに就職活動で見せていた
「こうあらなくちゃ」「こうあらねば」といった
理想像と現実の自然体の自分のギャップに苦しみ、
心を壊しました。
- 朝起きれずご飯もまともに食べられない。
- 気づいたら涙が止まらない。
- すごく疲れているはずなのに全然眠れない。
- 徒歩5分の道のりが30分くらいに感じる。
体は正直なもので、入社して4日目には生活に異変が出始めていました。
- 上司の目を気にして仕事に集中できない。
- 起こることすべて自分が悪いと責めてしまう。
- 無理だって悲鳴をあげているのに無視してしまう。
- でもなんとかこの道が正解だったと思いたい。
- 周囲にすごいねと期待してもらえていた自分でいたい。
偽りの心でいるしかなく、自分の言葉で喋れなくなりました。
月曜日になると仮面を被り、なんとか体裁を保っている。
そんな日を過ごしました。
仕事に対してもネガティブに。
「私何してるんだろう」
「本当の自分を生きている感じがない」
「生きがいがない」
そんな想いが募って行きました。
情緒不安定で居場所がなく生きることが辛い。
「こうあらねば」になれない自分に落ち込んだり、
とにかく自分を責めました。
そんなふうに会社ではズタボロでしたが、
幸せに生きることをどうしても諦められませんでした。
そして、幸いにも学生時代の人とのつながりの貯金があった私は、
暗闇の中にいても幸いにも「助けて」が言えました。
今までとは違うカウンセリングとの出会い
知り合いの方に紹介されたカウンセラーと出会い、人生が変わっていきます。
- 「1ヶ月でやめた自分なんて価値がない」
- 「こんな私じゃあ認めてもらえない」
- 「今やめたら周りになんて伝えよう」
自分が守っている、耐えている理由は
「1ヶ月でやめた自分は社会的にどう見られるだろう」
「ネガティブに思われるに違いない」
「期待してくれてた人をがっかりさせたくない」
などといった「他人軸」の理由しかないことに気づいたのです。
そして、1回のカウンセリングを受けた結果として、翌日会社を退職しました。
これは、プライドや他人軸で生き方の一部をつくっていた部分など
一度守ってたものを手放すいい機会となりました。
決めてからの行動の速さはあったものの、
当時の私は当然たった27日で仕事を辞めたなんて、
恥ずかしくて友人にも言えない苦しみに襲われます。
これからが見えない不安、
生きていくすべを失ってしまったのではないかという恐怖、
癒えない哀しみで埋め尽くされた私は、
未来や世の中、そして生きることがとても怖くなりました。
すべてが溶けていく6ヶ月にわたるカウンセリング
たった1回のカウンセリングで、
ぷつっと糸が切れたように、しがらみから解放され、次の日に会社を退職。
今まで希望を持てなかったカウンセリングだったけれど、
今回の心理療法は何か変われるかも。
そんなほのかな希望を抱き、
初任給を投資して思い切って継続してカウンセリングを受けることを決めました。
新卒ブランドを失った。もう就職できない。
急に会社をやめて、
その先どのようにして生きていくのかまったく決めていなかったので、
経済的にも不安はありました。
ですが、今ではあのときカウンセリングに投資をして心からよかったと思っています。
そして、たくさんの人の温かみに触れて、
「助けて」が言えることは大切で良いことなのだと思うようになりました。
あの時、我慢してそのまま会社を続けていたら、心の仕組みを知ろうとしなかったら、
今の幸せな自分はいません。
克服するなら気づいた今日から。
早いほどいい。
そう強く思います。
雷が落ちた。カウンセリングで知った、生きづらさの本当の理由
カウンセラーと数々の対話、セラピーを繰り返すことで、
自分を責める癖がゆるまっていき、
自分を愛する癖に変わっていきました。
その中でも、本当に苦しい理由を知れたことが大きかったです。
自分の能力がないことや人の期待に応えられないことが苦しいというよりもむしろ、「ネガティブな感情を抱いてはいけない。」という思い込みが、生きづらさの根底にある原因だと気付いたのです。
会社を辞めた自分は価値がない。
明るい自分でないと認めてもらえない。
上司や会社の期待に応えないといけない。
仕事ができねばならない。
すごい人にならなくちゃ認めてもらえない。
「普通」であらねばならない。
こういった、過剰に周囲を気にしたり自分を責めすぎるストレスを手放すことで、
大嫌いだった自分を愛するようになり、自分の意思を軸にした人生へ。
人生が一変。「自責ぐせ」から「自愛ぐせ」へ
自愛力を育むには明確な3つのステップがあり、
順番に自分のものとすることで少しずつですが、驚くほど確かに変化していきました。
やがて仕事を自分軸で決めることができ、
働けば働くほど輝いてくる。
内から生きる力が湧き始めたのです。
ニート生活を終えて、もう一度正社員として働きながら、
落ち着いた暮らしを取り戻し、自分の幸せが何かを自分軸で言語化していきました。
そして、自分らしく働く生き方を追求するエネルギーをインストール。
カウンセリング卒業時には、自分の心の取り扱い説明書が完成していました。
結果として10年間抱えていた心の病を6ヶ月で克服しました。
「生きる」ことの土台をアップデートできたこと。
これが中学生のころからたくさん受けたカウンセリングとの大きな違い。
目先の心を癒す対処だけにとどまらず、
根本から解決して、カウンセリングを卒業してからも、
社会に対応できるバランス感覚を身につけさせてくれたのです。
変わりたいという意志があれば必ず道は拓ける
現在は「自愛力 カウンセラー」として活動しながら心の研究を進めながら、
大学生の頃から研究していたフィンランドの暮らしに、
人の心が癒されるヒントがあるという信念のもと、
フィンランドを行き来しながら研究家としても活動しています。
いつしか生きづらさを生んでしまう原因のひとつ、
「こうあらなくちゃ」「こうあるべき」という価値観は、
本来存在しないものだと考えています。
ゼロの状態で生まれてきたはずが、
生まれ育った環境やめぐりあった出来事により創られた思い込みにすぎません。
人は変わりたいと願う強い意志があれば、
必ず自分で自分を変えることができます。
私は生き辛い人生を10年以上生きてきましたが、
カウンセリングを活用しながら時間をかけて克服し、
今はその時では想像できないほど穏やかな日々を送っています。
自愛力を土台として生きる力を育てること。
これこそが生きづらさ克服への最短ルートだと信じています。
私が思う生きる力とは、「自分で物事を意思決定し、それを信じて貫く力」と「あらゆる変化に柔軟に対応できる力」だと考えています。
正解探しをしても幸せになれたいことを10代でもう十分検証できました。
だから、今度は「自分で正解を決めて生きてみよう。」
そう決めて生きた20代で検証した結果、それは確信へと変わりました。
その想いでカウンセラーとして活動しています。
カウンセリングの効果を出すために大切なのは、自分の中で凝り固まった思い込みに気づき、根本的なアプローチをすることだと考えています。
とはいえ、実際に人生を送るのは悩まれているあなた自身。
カウンセラーは伴走者にすぎません。
それでも昔の私のような苦しんでる人に寄り添いたい。
そう思っています。
未来に希望が持てない人に、
でも「変われる」というほのかな願いを持っている方を
内から生きる力を育むように導く。
そんなカウンセラーでありたいです。
一人一人の人生に真摯に向き合い、
素敵な循環を生み出し続ける社会をつくります。
カウンセリングは、目の前に見えている世界を変える力、人生を変える力を持っていると信じています。
「こうあらねば」から解放され、
自分を責めてしまう「自責ぐせ」から自分軸で人生を拓いていく「自愛ぐせ」へ。
“生きる力を内から育む”自愛力カウンセリング
今度はあなたがこうした変化を一緒に体験してみませんか?
体験したいので申し込む
今、悩まれてる方の一歩を踏み出すきっかけになると嬉しいです。
最後まで読んで頂き、感謝です。
★企業・自治体・大学など講師業を承ります。
まずはメールよりご相談ください(^^♪
counselor.shoko@gmail.com